アナベル/死霊館の人形
2015年のアメリカ映画。ご存知死霊館シリーズに登場するアナベル人形にまつわる、シリーズ第1作の前日譚となっております。
この前観た「死霊館のシスター」がとっても良かったので観てみたのですが…、
イマイチでした(^_^;)
いえ、丁寧に作られているとは感じました。でも、なんだかなぁ…!とりあえず、イマイチに感じた理由を列挙してみようと思います。
【その1 思わせぶりな演出が多い!】
これはむしろ日本のホラーによくみられる現象ですが、思わせぶりなだけで結局なにも起きない、といった演出が多いです。具体的に言えば、
「定点カメラでずっと人形を映しているが、なにも起きない」
シーンが3箇所くらいあります。序盤であればともかく、こういった演出を多用されるとついトロ臭く感じてしまいます。
【その2 せっかくの見せ場が!】
今回のヒロイン、ミアの趣味は手芸です。劇中でもたびたびミシンを使っていろいろ縫っています。そしてやたら手元のアップが多い。
聡明なる皆さんはお気づきでしょう。
そう!これは確実に針が手に刺さるフラグです!
私はもう刺さる瞬間を今か今かと待ち構えていました(やべえ)!
そして幾度かのフェイントを経て、ついにその時が!しかし!!
なんか、あっさりしてました笑
「いってえ!やっちゃったな〜」くらいの感じ笑
あのシーンならもっと上手に手に針を刺す(どんな表現だ笑)こともできたろうに…!期待してただけに残念です。
【その3 悪魔、かっけえ!】
今回も死霊館お馴染みの「悪魔」が登場するのですが、その姿をついに表したとき、わたしは思いました。
「かっこいい!けど怖くない…」
なぜこんなふつうにかっこいいデザインなのでしょう!人形はあんなに怖い見た目なのに!
そう、なんといいますか、「気持ち悪さ」や「おどろおどろしさ」があまりなく、かっこいいけど怖くないのですよ(^_^;)
と、まあ不満も多々ありましたが、「イマイチ」なだけでまったくつまらない訳では決してありません。
伏線なども丁寧ですし、登場人物の心情もよく描けていてこころを打たれます。
なによりあの人形の見た目は怖すぎます!
誰が気に入って買うんだあんなもん!笑
「カッコーの巣の上で」
1975年のアメリカ映画。ジャック・ニコルソン主演。
私は日本のロックバンドthe pillowsの大ファンで、よく曲名の元ネタになった映画やボーカルアンドギター山中さわおさんがオススメしていたりする映画をよく観ます。今回の作品もその1つです。(「カッコーの巣の下で」という名曲があるのです)
名作だとは聞き及んでいましたが、予想を超える素晴らしい映画でした。
wikiなどによれば、ジャンルとしてはコメディ映画になるそうですし、実際に笑えるシーンも多くあります。
しかし、この映画のギャグはただ笑えるだけでなく、深い切なさが漂っていてそれが観客の胸を打ちます。
この映画を観ていて一番強く感じたのは切なさと、それと同量の爽快感でした。
刑務所での労働が嫌さに精神を病んだふりをして精神病院に入院するマクマーフィ(ジャック・ニコルソン)が主人公。
しかし病院では、傲慢な婦長によって患者の自由が巧みに束縛されていました。
そんな体制に反抗するマクマーフィと、最初こそ平穏を重んじつつも徐々にマクマーフィに感化され自由を求め始める患者たちの物語です。
自由とはどんなものでしょう。人間が高度な社会性を持っている以上、自由とは有限で、しかもそれに見合う対価を必要とする贅沢品であるのかもしれません。
映画の中で、患者たちがマクマーフィに連れられて病院を抜け出して釣りに行ったり、女の子と酒を持ち込んでどんちゃん騒ぎをしたりするシーンを見ていると、笑いながら泣いてしまいそうな気持ちに襲われます。
もちろん、この束の間の自由は有限で、対価を要求します。
患者たちも、そのことを程度の差こそあれ自覚しています。
しかし、たとえ束の間であっても、目の前の素晴らしい自由を全力で謳歌し笑う彼らの姿に対し「なにも感じない」という人は滅多にいないでしょう。ここに自由の本質が現れているからです。
私の好きなゲームのキャラクターの言葉を一部借りれば、
自由とは基本的にある程度の束縛を前提とした「LIBERTY」であり、無制限の自由「FREEDOM」は存在しません。
なぜなら、自由への束縛は多くの場合悪意ではなく、歪んでいたり方向や量が間違っていることはあっても善意によるものだからです(無論他にも理由はいくつか考えられますが)。
この映画においても、ラチェット婦長は傲慢な人物ではありますが、決して悪人として描かれているわけではありません。
よって、自由を束縛することを根本からたつことはできません。
しかしそれでも、むしろそれだからこそ、束の間でも自由であると感じられる瞬間が存在することに価値があるのです。
この映画は、ジャック・ニコルソンの演技の演技ニヤリとしたり、患者たちと一緒に大笑いしながら、深い部分でそういったことを考えさせられる素晴らしい作品でした。
蛇足ですが、この映画の未公開シーン集を観ていて、マクマーフィが初めてミーティングに参加するシーンの前後はぜひ、本編の方に加えて欲しいと思ったものです。理由は是非、映画を観て確かめてみてください。
「イノセンス」
2004年のアニメ映画。押井守監督。
「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」の続編にあたります。
草薙素子は「向こう側」へ行ってしまった。均一なるマトリクスの裂け目の向こうに。
それでも事件は起こり、事件が起これば公安9課は動く。
ロクス・ソルス社製愛玩用アンドロイドによる持ち主の殺害&自殺(自壊、ではないらしい)事件が相次ぎ、被害者には要人も含まれているためテロの可能性を考慮して公安9課が捜査を行うことを決定。ほぼ全身が義体のバトーと、電脳化はしていてもそれ以外は生身のトグサによる操作が開始された。
と、まあそんな感じのお話で、話の筋書き自体は大変わかりやすいです。わかりやすすぎて特に驚くようなポイントもありません。
しかし、正直に申し上げて、ここに何を書くべきなのか私自身検討がつきません。
この作品をどう感じるべきなのか、あるいは何を疑問に思うべきなのかがさっぱりわかりません…!
ただ、この作品がなにやら得体の知れないエネルギーに満ち満ちていることは確実で、「退屈な作品」とは口が裂けても言えません。
「なにを感じたか」と問われれば「とにかく哀しくてグロテスクな物語だった」と言うのが最も実態に即していると思います。
とにかくオープニングから最後までとてつもなく美しい映像や音楽がこれでもかと目白押しなのですが、全体に漂う空気としてはなにやら物凄く見てはいけないものを見せられているような感覚というか、居心地の悪い浮遊感というか、そういったものを感じました。
そういった中、バトーの安定感にはかなり救われました。決して自分を見失うことなく、「自分が自分であること」の根拠が酷く頼りないものであることを自覚しながら受け入れてズンズン進んで行く様はこの作品の中において唯一と言っていい「確からしさ」を感じさせてくれます。
蛇足ですが、バトー役の大塚明夫さんの声で「少佐」などと言われると、あのゲーム界の伝説の英雄の顔がチラついてしかたありません笑
「タクシードライバー」
76年のアメリカ映画。マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演。
ええ、いい映画でしたよ、もちろん。
主人公の孤独と狂気が非常に上手く描かれていてとてもわかりやすいですし、ある種の格好良さもたっぷりで、社会派映画としてはかなりの成功を収めていると言えるでしょう。
ジョディ「羊たちの沈黙」フォスターがこのとき13歳だったとは!才能の片鱗をガッツリ覗かせています。ロバート・デ・ニーロの格好良さと演技の上手さは、今更いうまでもないでしょう。
それでもイマイチピンと来なかったのは、私が所謂「社会派」と呼ばれる映画や物語があまり好きではないからかもしれません。
「社会的なテーマ」であるとか「特定のイデオロギーに対するアンチテーゼ」と言ったものは、優れた物語に付き物ではありますが、それはその物語が優れていることに付随する結果であるべきで、テーマを語ることを物語そのものを語ることより優先すべきではないと考えるからです。テーマが先行してしまうと、そのテーマに共感もしくは反発を覚えない人には楽しめなくなってしまいます。
あるいは私がもし当時(70年代)のアメリカ人で、劇場でこの映画を観たのであれば全く違った感想になったであろうことは想像に難くありませんが。
この映画が名作として知られているのは、「ベトナム帰還兵の孤独と狂気」というテーマが現代社会において人々が感じている孤独と照らし合わせても普遍的であるから、とみなされていることが大きいと思います。
「周りはみんな幸福そうに見えるが、自分だけは違う。疎外されているように感じる。このままではいけない、何か大きなことをしたい。何者かになりたい」
そういった思いから取ってつけたような正義感や使命感に酔い、狂気を深めていき、側から見れば理由のない罪を犯す。
確かにこれは普遍的なテーマたり得るものであることはわかります。
あれ、書いてるうちになんか自分にとってもいい映画だった気がしてきた…!
でもなぁ、共感できる人物が一人も出て来ないんだよなぁ。あ、ドライバー仲間のハゲ(ウィザード?)がいるか。あの人の言ってることはその通りだと感じました。
魅力的な悪役、と言えば主人公が一番それに近いけど、でも、自分の行動の動機に無自覚なところとか、結局議員は殺せてない辺りからあんまりなあ。結局たまたまで救われちゃってるし…。
もっと年取ってから観たらまた違うのかな?
また機会があったら見返したいです。そのくらいのことを思わせる力は確かにあります!
「ちいさな英雄−カニとタマゴと透明人間−
スタジオポノックの短編映画三本だて。
幼いカニの兄妹、卵アレルギーの少年、透明人間、がそれぞれ主人公の三本の短編映画をまとめたものです。
それぞれ演出の工夫が多くあり、映像を眺めているだけでも結構楽しい気持ちになれます。
物語としては、特に透明人間の話が良かったです。「いろんなタイプの透明人間があるけど、こいつはどういった透明人間なんだろう?」と考えながら観ていたのですが、直接的なセリフではなく他の登場人物のちょっとした仕草や伏線をうまく使って説明しており、中々楽しめました。盲目の老人の「わしにはお前さんの姿がはっきり見える」というセリフには痺れました。
ただ全体の評価としては、まあイマイチかな、といった感じです。
3本とも面白くなりそうな予感はあるのですが、どれも普通の尺の映画の冒頭を切り取ったようで、予感だけで終わってしまってる感があります。
短編であっても、むしろ短編であるからこそ、余白を想像させたり余韻を残すような物語であってほしいものです。
「死霊館のシスター」
死霊館シリーズの最新作で、「死霊館 エンフィールド事件」の前日譚です。エンフィールド事件で登場した悪魔「ヴァラク」をメインとした物語でもあります。
えー…、超怖かったです(小並感)。
最初と最後に死霊館シリーズのどこにつながるのかが示されるシーンはありますが、基本的にはこの映画内で物語は完結しており、今までのシリーズを観たことのない人でも楽しめる内容になっております。
前半からクライマックス直前までは所謂「ビックリ系」と言われるような怖がらせ方が続き(これだけでも割と十分怖い)ますが、クライマックスは単純なビックリ系を超えて、じわじわと迫ってくるような質の高い恐怖が味わえます。
主人公のアイリーンやバーク神父、地元の青年フレンチーなど登場人物もそれぞれ魅力に溢れており、この3人が悪魔に立ち向かう冒険譚としても完成度が高いです。
多くの人にオススメできるホラー映画です。是非。
「プーと大人になった僕」
ディズニーによる「くまのプーさん」の実写映画。ユアン・マクレガー主演。
例によって予告を観て泣いてしまったので観にいくことに。
私の中では内容やジャンルにかかわらず予告編観て泣いたら観に行くというマイルールがあるのです。
【あらすじ】
プーやその仲間たちと過ごした日々から十数年、僕(クリストファー・ロビン)はいわゆる「大人」になった。
あの100エーカーの森を去って以来、僕は一度もあの場所を訪れてはいない。最近では思い出すことさえほとんどない。
仕方がないじゃないか。そりゃあ僕はあのとき、「君たちのことを決して忘れない」と言ったさ。「何もしないでいることが一番好きだ」と堂々と言い放つことが出来たさ。
だけど、今の僕にとって重要なのは、何もしないことでも、はちみつをとることでも、赤い風船でも、いもしないズオウやヒイタチに対抗することでもない。家族と久々の週末をのんびり過ごし、ややすれ違い気味な妻や娘との関係を軌道修正することですらない。
重要なのは、部署ごと会社から切り捨てられるのを防ぐため、ようやく3パーセント程度の成長をかろうじて保っている「旅行カバン部門」の業績を20パーセント以上まで伸ばすことだ。
上司はこう言った。「夢はタダではない」と。「何もしないことからは何も生まれない」と。
彼がろくに仕事もせず、僕に全ての責任を押し付けて手柄だけさらっていこうという気が満々であることを差し引いても、この言葉の正しさを否定する材料を僕は何も持っていない。そんなものは遠い昔に、あの100エーカーの森に置いてきたんだから。
なのに、十数年ぶりに何故か僕の目の前に現れたかつての親友は、そんな風に僕が置いてきたものを1つ残らず変わらずに持っていた。
【感想】
流石です。やはりディズニーは安定。ディズニーの安定感は異常。
プーとその仲間たちが、大人になったロビンと二次体戦後のロンドンで再会する、言ってしまえばそれだけのアイディアからスタートした物語を、こうも現代人に響く物語にできるものです。
まず、ユアン・マクレガーがとてもいい。顔がいいですね、顔が。プーが劇中で語る「君は何も変わらないよ。すこし皺が出来たけど」という言葉ががっつりハマっています。
プー、イーヨー、ティガー、ピグレットと言ったキャラクターの魅力も抜群です。
特に個人的にはイーヨーの後ろ向きな発言がいちいちツボでした。
劇場に足を運び、2時間だけでも「何もしない」時間を堪能するのはいかがでしょうか。
いや、私が言わなくてもみんな観にいくか(笑)