第三男の映画備忘録

映画の感想ブログです。映画館で観た作品の感想、円盤でみた作品の感想、たまたま観たことを思い出した作品の感想など、かなり節操がありません。しかもネタバレ等一切気にせずに書いているので苦手な方はご注意くださいm(__)m

「カッコーの巣の上で」

 

1975年のアメリカ映画。ジャック・ニコルソン主演。

 

私は日本のロックバンドthe pillowsの大ファンで、よく曲名の元ネタになった映画やボーカルアンドギター山中さわおさんがオススメしていたりする映画をよく観ます。今回の作品もその1つです。(「カッコーの巣の下で」という名曲があるのです)

 

名作だとは聞き及んでいましたが、予想を超える素晴らしい映画でした。

 

wikiなどによれば、ジャンルとしてはコメディ映画になるそうですし、実際に笑えるシーンも多くあります。

しかし、この映画のギャグはただ笑えるだけでなく、深い切なさが漂っていてそれが観客の胸を打ちます。

 

この映画を観ていて一番強く感じたのは切なさと、それと同量の爽快感でした。

 

刑務所での労働が嫌さに精神を病んだふりをして精神病院に入院するマクマーフィ(ジャック・ニコルソン)が主人公。

しかし病院では、傲慢な婦長によって患者の自由が巧みに束縛されていました。

そんな体制に反抗するマクマーフィと、最初こそ平穏を重んじつつも徐々にマクマーフィに感化され自由を求め始める患者たちの物語です。

 

自由とはどんなものでしょう。人間が高度な社会性を持っている以上、自由とは有限で、しかもそれに見合う対価を必要とする贅沢品であるのかもしれません。

 

映画の中で、患者たちがマクマーフィに連れられて病院を抜け出して釣りに行ったり、女の子と酒を持ち込んでどんちゃん騒ぎをしたりするシーンを見ていると、笑いながら泣いてしまいそうな気持ちに襲われます。

もちろん、この束の間の自由は有限で、対価を要求します。

患者たちも、そのことを程度の差こそあれ自覚しています。

しかし、たとえ束の間であっても、目の前の素晴らしい自由を全力で謳歌し笑う彼らの姿に対し「なにも感じない」という人は滅多にいないでしょう。ここに自由の本質が現れているからです。

 

私の好きなゲームのキャラクターの言葉を一部借りれば、

自由とは基本的にある程度の束縛を前提とした「LIBERTY」であり、無制限の自由「FREEDOM」は存在しません。

なぜなら、自由への束縛は多くの場合悪意ではなく、歪んでいたり方向や量が間違っていることはあっても善意によるものだからです(無論他にも理由はいくつか考えられますが)。

この映画においても、ラチェット婦長は傲慢な人物ではありますが、決して悪人として描かれているわけではありません。

よって、自由を束縛することを根本からたつことはできません。

 

しかしそれでも、むしろそれだからこそ、束の間でも自由であると感じられる瞬間が存在することに価値があるのです。

 

この映画は、ジャック・ニコルソンの演技の演技ニヤリとしたり、患者たちと一緒に大笑いしながら、深い部分でそういったことを考えさせられる素晴らしい作品でした。

 

蛇足ですが、この映画の未公開シーン集を観ていて、マクマーフィが初めてミーティングに参加するシーンの前後はぜひ、本編の方に加えて欲しいと思ったものです。理由は是非、映画を観て確かめてみてください。